場所・Place
英国の外交史家、E.H.カーは著作『危機の二十年』の中で、現実主義に立脚した理想主義的な学問の取り組みを重視したことで知られる。

「パワー・ポリティクス」と呼ばれる立場を標榜するH.モーゲンソーは、国家が権力的に行動する理由を、人間の権力欲に求めていた。
しかしながら、構造的リアリズムを提唱するウォルツは、国際関係の動態は、国際システム自身の構造特性に求めるべきであると主張した。

「ドル・ショック」やヴェトナム戦争からの撤退などに見られるように、1970年代に入り、アメリカの衰退が顕著になると、世界各地で紛争が勃発し、不安定となった。
そこでギルピンなどの覇権安定論は「覇権国(ヘゲモン)が存在していれば、世界経済は安定する」と主張した。

「複合的相互依存論」と呼ばれる研究を提示したコヘインとナイは、その研究を進めるにあたって、敏感性と脆弱性という2つの分析的概念を導入した。
また、この研究では国際関係の争点は、軍事以外の多様な問題からも成り立っているとされた。

国際レジーム論は、覇権国が衰退した後も、「相互依存の関係を管理するルール」について多国間での合意があれば、世界は安定すると主張した。
また、この議論をさらに拡張し、国際社会におけるアクターとして、国家だけでなく、市民・NGO・企業なども含むべきであるとするグローバル・ガヴァナンス論もある。

J.ガルトゥングは、暴力を、暴力行使の主題がはっきりしている通常の暴力である「直接的暴力」と、行使主体がはっきりしないが、結果は同じである「間接的暴力」に分け、貧困などの問題は間接的暴力が原因となっていると主張した。この議論を構造的暴力論という。

世界システム論を提唱するウォーラースティンによれば、中心・準周辺・周辺の三層構造によって構成される近代世界システムは15世紀末に成立したとされ、以降現在に至るまで、この国際経済体制は不変であるという。
キューバ危機を題材に対外政策の決定要因を分析した『決定の本質』を著したアリソンによれば、対外政策を分析するための3つの基本モデルを提唱した。
その3つとは、合理的行為者モデル・組織過程モデル・政府内政治モデルである。

そのうち、ローズノゥなどは、国際政治と国内政治が相互に浸透・影響しあうというリンケージ論を唱えた。
また、パットナムは、サミットにおける交渉を観察し、国際交渉と国内政治過程の関係をモデル化したツー・レヴェル・ゲーム論を唱えた。
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